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古地図を片手に春日町黒井城下町を歩こう

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年6月20日更新

古地図を片手にまちを歩こう。

~古地図を片手に春日町黒井城下町を歩こう~

 甲冑武者2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映を契機に、古地図を使ってまち歩きを楽しんでいただくことを目的として、古地図アプリを製作しました。
 この古地図アプリは、スマートフォンやタブレット上に古地図を表示させることで、自分が古地図上のどこにいるのかを、現在の風景や街並みと比較しながら楽しんでいただけるようになっています。
 また、春日町黒井には、戦国時代からの歴史や敵の侵入を防ぐために入り組んだ道があり、戦国時代の名残がそのまま残っています。

 さあ、古地図を片手に、戦国時代の春日町黒井城下町へ。

春日町黒井の歴史

 丹波市春日町黒井のまち歩きを行う上で「赤井(荻野)直正」は欠かせない人物です。直正は叔父である荻野秋清を殺害し、黒井城の城主となり、丹波国の勢力として他国から恐れられ、その勇猛ぶりから「丹波の赤鬼」とも呼ばれていました。1565年(永禄8)には、戦国最強武将であった織田信長の軍に従いました。
 しかし、隣国但馬国から丹波国へ攻めてきた山名氏が、織田軍へ助けを求めたことがきっかけで、織田軍と敵対関係となりました。
 織田軍は1575年(天正3)に、明智光秀を総大将とする「丹波攻め」を行いました。黒井城は落城寸前でしたが、1576年(天正4)1月、明智軍にいた多紀郡の八上城主、波多野秀治の軍が赤井軍に寝返ったことで状況が逆転しました。
 明智軍は大打撃を受け、光秀は命からがら逃げ帰りました。直正は波多野氏と密かに手を組んでいたと言われており、「赤井の呼び込み戦法」と呼ばれています。
 しかし、1578年(天正6)3月に直正が病死したことで、赤井軍の勢力は急激に衰退し、再度丹波攻めを行った明智軍に遂に敗れ、1579年(天正7)黒井城は落城しました。
 こうして丹波平定戦が終了し、丹波国は光秀が治めました。
 この戦いの後、黒井城に入ったのは光秀の重臣、斎藤利三でした。利三はふもとの下館(現在の興禅寺)に居住し、黒井のまちを治めました。後の徳川3代将軍徳川家光の乳母・春日局となる利三の娘、お福はこの下館で生まれ、3歳まで育ちました。
 黒井城の本城跡は、平らに削られた猪ノ口山(いのくちやま)の山頂にあります。標高356メートルの猪ノ口山全体が敵の侵略を防ぐ要塞でした。黒井城跡は、戦国時代の山城の様子がそのまま残っていることから、1988年(平成元年)に国史跡に指定されました。

古地図マップ

・マップを印刷される場合はこちら→古地図マップ [PDFファイル/1.29MB]

・アプリを使用される場合はこちら→古地図アプリ

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