旧氷上高等小学校校舎
県指定文化財 (建造物) 平成21年3月24日指定
- 所在地 柏原町柏原688-3
- 所有者 丹波市
- 管理者 丹波市
- 旧氷上高等小学校校舎 1棟
- 附
- 棟札1枚 明治18年の記のあるもの
- 門 門柱4本 敷石東西2.1メートル 南北6.5メートル
- 柵 基礎石北側6.3メートル 南側7.9メートル
建設年
明治18年(1885年)
構造形式
木造2階建 寄棟造 桟瓦葺 建築面積352.7平方メートル 玄関ポーチ付 2階建 切妻造 桟瓦葺 布基礎 下見板張 胴蛇腹 1階上下窓 2階上下窓 軒蛇腹 玄関ポーチ 柱礎 円柱フルーティング付 キャピタル 2階円柱 引違窓 ペディメント
旧氷上高等小学校について
旧氷上高等小学校は、明治18年(1885)に氷上郡各町村組合立高等小学校校舎として現在地に建設され、兵庫県下では最古級の校舎であり、保存状態もよく貴重な建造物として平成21年3月24日に兵庫県重要有形文化財(建造物)に指定されました。
また、柏原高等女学校の校舎としても長く使用されました。
総二階建て、屋根は寄棟造の本体に、ペディメント(西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分)を持つ二階建ての玄関ポーチが付くという全体構成は、明治初期に建設された洋風建築に多く見られる形式です。また、この校舎の特徴としては桟瓦葺きで、玄関ポーチの棟に獅子口(ししぐち・日本建築において屋根の大棟の両端や隅棟の端などにつく棟飾りの一つ)を上げるという和風建築要素も組み入れているところです。
さらに、現存する棟札(むなふだ)には、建立年代や建設工事にかかわった人たちの氏名が記されており、建設当時を知る資料として重要であり、建物と共に文化財指定を受けています。
この棟札には、実測(設計)は兵庫県の職員があたり、各職人は大工・左官・畳・建具・門扉などを分担しており、地元の多くの職人たちの氏名が記されています。また、建設当時の状況にも触れられています。それによると、明治14年(1881)の国家的な経済破綻状況や不作などにより混乱・困窮した世情の中で「教育は国家の根底なり、学校は教育の土壌なり」の精神でこの学校創立を発起したことなどが切々と綴られています。当時、氷上郡長であった田艇吉をはじめ創立委員・学務委員ら多くの人たちが奔走し、全郡町村連合会の議決を経て、多くの職人が建築に携わり氷上郡の総力により高等小学校を開校した喜びも伝えています。
まさに、この旧氷上高等小学校校舎こそは丹波市における“近代教育の発祥地”と称しても決して過言ではありません。事実、この校舎に学んだ卒業生の中には、その後日本女子大学の校長となり、今日の男女共同参画社会の生みの母となった井上秀や小学校の国語教育を実践した芦田恵之助、さらに女流俳人の第一人者であった細見綾子など傑出した人物を多く輩出し、創立の精神に応えています。
沿革
年 | 内容 |
---|---|
明治18年(1885) | 氷上郡各町村組合立高等小学校の校舎として建立。 |
明治19年(1886) | 開校。 |
明治26年(1893) | 氷上郡第一高等小学校に改称。 |
明治28年(1895) | 柏原町立柏原高等小学校に改称。 |
明治30年(1897) | 氷上郡立柏原病院の舎屋として利用される。(明治38年まで) |
明治42年(1909) | 氷上郡立柏原高等女学校の校舎となる。 |
大正11年(1922) | 県立柏原高等女学校に昇格。 |
昭和23年(1948) | 県立柏原高等学校に合併され、「柏陵同窓会館」として、柏原高校の同窓会館となる。 |
昭和38、39年(1963、1964) | 補強工事が実施される。 |
昭和41年(1966) | 柏原町指定文化財となる。 |
昭和44年(1969) | 氷上郡教育委員会事務所となる。建物の一部を障害を持つ児童たちの教室として使用される。 |
昭和56年(1981) | 修復、改修工事が実施され、「大手会館」の名で高齢者や婦人の社会教育施設として使用される。 |
昭和62年(1987) | シルバー人材センターの事務所が設置される。 |
平成18年(2006) | 安全性の問題から使用が中止される。 |
平成21年(2009) | 兵庫県指定重要有形文化財となる。 |
平成25年、26年(2013、2014) | 改修工事が実施される。 |
平成27年(2015) | 通称「たんば黎明館」としてリニューアルオープンする。 |
更新日:2024年03月19日